自由に楽に息を吸う

きょうだい児で福祉職女子。思うことを自由につらつらと。

自分のこと

わたしは30代女性です。今年、結婚して家を出て、飛行機を使わないと行けない場所へ引っ越す予定です。

 

わたしの育った家は、機能不全な家庭でした。

 

小学校高学年ごろ、二つ年上の姉が精神疾患を発症しました。不登校になり、引きこもりになり、父親を強く拒否するようになり、母へのみ依存するようになりました。

 

母も姉から離れられず、ほとんど家を出ない生活をするようになりました。

 

苦しそうな姉、それをなだめ、ひたすら受けとめる母。母は隠れて泣いていました。それを見ていたわたしは、せめてわたしは母を安心させる存在でいないと、と思いながら思春期を過ごしました。

 

相談事はしたことがありません。反抗期もほとんどありませんでした。負担をかけてはいけないと、必死に良い子でいました。

 

手に職をつけて自立しなくてはと、高校から福祉の道へ進みました。そのころから父も持病が悪化し、医療が欠かせない生活となりました。祖母の介護も始まりました。

 

ありがたいことに大学へ行かせてもらい、資格をとり、社会人になりました。外でも家でも支援者でいなくてはならなくなりました。

 

姉は精神科医療をあまり信用せず、病状が大きく良くなるということはありませんでした。好き勝手にわがままを言い、希望が通らなければ死にたいと騒ぎ、いわゆる境界性パーソナリティ障害の疑いもあると主治医からは言われていたそうです。病院へは母がかかり、薬をもらってくるという形なので、直接の診断は受けていないようですが、わたしは診断に間違いはないと感じています。

 

そんな生活が今も続いています。姉が自活する目処は立っていません。両親は老いてきています。

 

そんな姉は東京で一人で暮らしたいと言っています。わたしはまず地元で自活できなければ難しいと思うのですが、身近な目標から挑戦するということは頭にないようです。アドバイスは否定と捉え、騒ぎます。母は、自身の蓄えから何千万の単位のお金を出して、東京にマンションを買い与えることを考えているそうです。

 

わたしは仕事をしながらこれまでにいくつかの資格をとり、職業選択の幅を少しずつ増やしてきました。結婚したいと思える相手とも出会い、彼の地元へ嫁ごうと思いました。家を出て行くことは心苦しいですが、結婚することがわたしが家を出られる唯一の手段だと、きっと家族は喜んで送り出してくれると信じてこれまで生きてきました。これをきっかけに、家だけで抱え込む状況から変わることにつながればとも思っていました。

 

母は、わたしが結婚して家を出ると伝えると、「(家が)大変になる」「延ばせないのか」と困った顔をしました。

 

それを伝えてしばらく経ちますが、まだ一度もおめでとうと言われていません。親戚にもまだ言うなと言われています。

 

姉にはなにもかも与え、施し、受け入れる。わたしはなんとか一人前になろうと踏ん張っても、結婚の予定ができても、喜ばれない。

 

これが、障害をもつ兄弟のいる、いわゆる「きょうだい児」の抱えている生きづらさだと思います。

 

結婚することを話すと、友人や、わたしの通院している精神科の主治医はおめでとう、と喜んでくれました。笑ってくれたり、泣いてくれました。祝いの言葉をもらえて嬉しい反面、やはり親に認めてもらいたかったのだと、現状に悲しさを感じてしまいます。わたしは親の愛情を受けたかったんだと思います。

 

わたしは2年近く前に突然パニック障害を発症し、それから精神科にかかっています。先生はとてもいい人で、わたしの話をちゃんと聞いてくれます。頑張ったね、偉かったねと認めてくれます。表情を見て、調子をうかがってくれます。症状が出て辛いときは、いつでも来なさいと言ってくれます。

 

わたしが精神科に通院していることは、家族には言っていません。言わずに家を出て行くつもりです。苦しかろうが、それはわたしが決めたことです。

 

家を捨てて出て行くことを、先生は後押ししてくれました。転居後も、次のドクターへしっかり引き継いでくれるそうです。恋人と主治医は、少し似ています。わたしにとって安心を与えてくれる存在です。

 

新しい生活を楽しみに、今をなんとか生きています。

 

なんとなく暗い話に見えますが、これがわたしの当たり前です。