空耳に苦しむ
夜、部屋の布団に入っている時なんかに、風の音とかテレビドラマの背景音とか、どこかの猫の鳴き声とかに、ドキッとしてヒヤッとします。
姉が不穏のときの泣いたり叫んだりしている声に聞こえてしまうんです。
お風呂に入っていてもそう。
シャワーを止めてお風呂場のドアを開けて耳を済ませずにいられません。
条件反射です。
習慣なのです。
悲しいかな、空耳だったとしても反応している自分に気づいた途端気分は最悪になります。
一度過敏になると、なかなか抜け出せません。
なので、旅行なんかで外に泊まるときはすごくのびのびと過ごせます。
姉の声は聞こえないから。
物音がしても姉はそこにはいないから。
とても楽です。
そんな日々が来ることを願って生きてきました。
わたしが家を出ることイコールほかの家族の負担が増すことなのは理解しています。
だからこそ、それは結婚するときだと、それなら送り出してもらえるだろうと思って、この歳まで家を出ずに来ました。
なのに、結婚するからと言っても喜ばれなかった。
絶望しました。
30も過ぎた娘が嫁ぐというのに、喜ばれないのです。
未だにおめでとうと言われていません。
きっとわたしは一生これを引きずるでしょう。
死にたくなるような出来事でした。
子は、定位家族のために生きなければならないのでしょうか。
生殖家族をもつより先に、定位家族を守るためにつぶれなければいけないのでしょうか。
きょうだいのケア、親のフォロー、親の介護。
それに尽くしているうちに、自分の人生の選択肢が狭まっていく。
そして絶えるのでしょうか。
わたしは逃げることを決意しました。
わたしはわたしの人生を生きていきたいのです。